マンドリンに関するプロフィール
1972.2.20  奈良高校マンドリンクラブ第7回定期演奏会


 マンドリニストに50の質問と回答

助走(^o^) 中学時代には吹奏楽部にて,中音の代表たるユーフォニューム担当. その後の中低音人生を決定付ける.
マンドリンと会う
  • 高校で初めてマンドリンに出会う.180cmの身長から,意に反してコント ラバス担当となる.今となってはコンバスやれてよかった.いまは大好き.
  • 部室にあるドリンやギターやらいろいろさわってみる.

    1973.3 奈良高校卒業アルバムより

  • 高校時代定演演目
    • 1年生の定演(1971.2.21)
      序曲魅惑島 J. B. Kok/四月の満月 M. Vicari/桂樹の下で  G. Manente/哀絶の歌 高野力(当時3年生)/前奏曲  S. Ranieri/晩年に H. Lavitorano
    • 2年生の定演(1972.2.20)
      前奏曲 G. Sartori/シュバーベン序曲 R. Krebs/マンドリンの群  C. A. Bracco/最後のステージ Menichetti/全ては去りぬ  H. Lavitorano/グラウコの悲しみ A. Mazzola

  • 関西学院のマンドリンオケ演奏会に賛助出演
    1年、2年の夏は奈良文化会館大ホールでの関西学院のマンドリン オケ演奏会に賛助で出演。

    1972.7 関学サマーフェスティバル 賛助出演(奈良県文化会館)

  • 高校ギターマンドリンフェスティバル
    3年生のとき,森ノ宮青少年 会館で開かれた第2回高校ギターマンドリンフェスティバルにムニエル の「SOGNADO(夢みつつ)」で挑戦し、見事に「努力賞」に泣いた.

    1972.7 高校ギターマンドリンフェスティバル青少年会館(大阪 森ノ宮)
マンドリンから離れて
  • 大学でもマンドリンクラブに所属したが,2カ月でリタイア.
  • 大学時代は,アコギフィンガーピッキングにはまる
関東進出から現在へ
  • 1980年−2002年:所沢マンドリンクラブ.コントラバス担当,マンドラトップを経て,第20,21,22回演奏会(2000-2002)は指揮者として活動し,退団(第21回演奏会における英雄葬送曲は人生におけるエポックメイキングな 名演であったと思っています.).
  • 1996−1997年 中断を経て2003年以降:オルケストラシンフォニカ東京(OST)にてマンドラ担当,2004夏からマンドローネにコンバート.ホームページ管理人.
  • 2002年8月より:I Mandolini Sognato(イ・マンドリニ・ ソニャート)を立ち上げ,活動開始.現在休眠中.
  • 2003年6月より:川越マンド リンクラブ.コントラバス,指揮担当.
その他のマンドリン活動
  • OMB(オールディーズマンドリンバンド)代表山本雅三(山本ミュージックコーナー):1950年代生まれの各方面で 活躍中のメンバーで結成.年に1回のマンドリンとギター を楽しむ会に主にポピュラーアレンジものを中心に出演.ベース担当.
  • 奈良高校ギターマンドリンクラブOB会ホームページ管理人. 年1回の定期演奏会OBステージに出演.
  • 賛助出演:国分寺マンドリンクラブ,アンサンブル・プレクトル,マンドリーノ TAMAなどの定演にコントラバスで出演.東海大学マンドリンクラブ定演にも出演.
  • 出版:マンドリンアンサンブルのためのアレンジ曲集 (マンドリンコレクション(1)(2))を仲間(山本ミュージックコーナーの山本雅三氏 の企画)の誘いで共同音楽出版社から出版しました。私は1曲だけ受け持ちました。
担当(過去の経験も含む)楽器 コントラバス,マンドローネ,マンドラ,指揮,ギター
愛用楽器はこちら
好きな作品 イタリアオリジナルの濃いのが好き
ラッタの「英雄葬送曲」,ベルッティの「黄昏」,ファルボの「間奏曲」,ブラッコの「マンドリンの群」, ラヴィトラーノの「晩年に」,マッツォーラの「グラウコの悲しみ」,ヴィッカーリの 「四月の満月」,アマディの「海の組曲」, ラヴィトラーノの「小鳩(道化師)」

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