幼春その後 第六章「夕刻」



そろそろ残る時間も少なくなってきた。僕たちは喫茶店を後にしてから、東向き通りを横切り、興福寺に向かい、国宝館に入った。
過ぎゆく時間を惜しむようにゆっくりと見て歩いた。
「ここにね、大学時代の恩師に似た頭像があるのよ。」
大きな丸顔の仏像の頭部を見つけN子は
「これよ。こっちから見ると似てるのよ。」と言った。これがN子なのだ。
僕たちは、有名な三面の阿修羅像を長い時間見つめた。美しい少年の顔だった。
中央に巨大な千手観音がおられた。その千の手にはいろんな道具を持っている。中にはどくろまであった。
「ねえ、あれどくろだよね。」と僕が指を指した。
「あら、ほんと。何の意味があるのかしら。」とN子が応じた。
そして外に出た。夕刻の色がせまっていた。
商店街の中はすっかり変わってしまったが、やはり戒壇院、春日大社、興福寺の奈良は千二百年の歴史に裏付けられた変わり無い風景を僕たちに提供してくれた。二十年なんてこの町には瞬間でしかないのだ。僕たちはその変わり無い奈良の歴史の中に抱かれて、僕らにとっては長い二十年を今日一日タイムスリップしたのだ。僕たちは何にも変わらなかったのだ、二十年前と。
「もう帰らなきゃならない。」と僕は言わずもがなのことを言った。
それから僕たちは駅の方角に向かった。途中でN子は一刀彫りの雛人形や小物の店をうれしそうに覗いていた。僕は今の僕に戻りつつあった。N子の勧めに従い、会社と家へのみやげ物を購入した。
近鉄奈良駅に着いた。僕たちの十八年ぶりの再会はいよいよ終わりの時を迎えた。あっと言う間の六時間だった。コインロッカーから荷物を引き出し肩にかけた時に現実の重みが僕にのしかかってきた。
一緒に改札を通った。N子は僕の乗る京都行き特急が出るのを見送ると言ってくれた。特急電車の前で少しだけ話した。
「今日はほんとに来てくれてありがとう。ほんとに楽しかったよ。」
「そのままのことばを私もお返しするわ。」
「また機会があれば。」
「そうね。」
「じゃ、ありがと。さよなら。」
「ありがとう、さよなら。」
僕は特急に乗り込んだ。発車まで少しの時間があってやがて電車は静かに動き出した。窓の外のN子を見て僕は自然に笑みが浮かんだ。手を振った。N子は今まで見た中で最高の笑顔をして手を振ってくれた。何度も手を振った。年齢も考えずに手を振った。彼女も。目頭が熱くなった。そしてすぐに見えなくなった。


了   
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