幼春 第七章「距離」



大学院に入ってすぐの一九七七年の四月に、父が役員として参加していた会社が不渡りを出し倒産してしまった。父は会社を助けようと、義務もないのに家の権利書を債権者に差し出してしまい、結局何もかも失ってしまった。僕たちは四年前に建てたばかりの家を失った上、大きな借金をかかえたまま、誰も住まずぼろぼろの空き家になっていた母の実家に夜逃げ同然に移った。家の持ち主である東京在住の母方の叔父の好意で、借家料なしで住むことができた。昔の広い家であったが、十年以上も人が住んでいなかったので、あちこち痛んでいて、なんとか雨露をしのげる程度のものであった。
僕と弟は、必死でアルバイトし、学費を賄いかつ家にもいくらかを入れて借金の足しにしたりした。僕は家庭教師に土日すべてを充てて当時の大卒の給料以上のものを稼いだ。そして大学には授業料免除願いを出し、半額免除してもらった。僕は生活に追われN子に会うこともなかった。
そして一九七八年、僕は修士課程の二年になっていた。修士論文で頭を悩ませ始めていた秋に僕は東京に就職を決めた。関西では一応名の通った大学でもあるため、関西地区でも就職先に困ることはほとんどなかったが、僕は関西にとどまりたくなかった。原因は父にあったとも言えよう。家が困窮の極みであるときにほとんど働きもせず、また金を生む才覚もなく、女のところに逃げ込んでいる父がいやでしようがなかった。僕は母を守っていくべきであったろう。しかし、僕は逃げたかった。この暗い家から逃げ出したかった。僕はいつも大事なときに楽な方に逃げてしまう。ずっとそうだった。今がぬるま湯だったらずっとつかっていたい、どうしても何かやらねばならないとなると、決めるべき時に楽だと思える方を選んでしまう。そうして僕は今の会社に入ることを決めた。

一九七九年を迎えた。学生最後の正月であった。僕が言い出して高校時代のマンドリンクラブの同期の集まりをやった。しかし一番会いたかったN子の姿はそこになかった。彼女を教員研修で見かけたという同級生の話では、なんか腑抜けのようにぼんやりしていたとのことであった。
僕は、彼女を助けるべきなんだろう。しかしどうやって。僕はまた彼女のSOSをわかっていて何もできないでいた。僕はやはり僕がN子の助けになり得る自信がなかったのだ。僕には電話することくらいだった。修論の仕上げで大学に泊まり込んだ二月に電話をかけた。
「もしもし。Iと申しますが、N子さんいらっしゃいますか。」
「あ、I君。今晩は。N子はもう少し遅くなると言ってました。ところで、就職決まったそうね。」
「はあ、ありがとうございます。ところでN子さんお元気にしておいででしょうか。」
「それが、何か自信がないのか元気ないんですよ。みなさんになぐさめてもらっていて。」
「そうですか。悩んでいらっしゃるようだと聞いて気になっていたものですから。」
「一度なぐさめてやって下さいな。N子はI君のことをよく話すんですよ。一度うちにも来て下さいな。」
「ありがとうございます。では、後ほど改めて電話いたします。今学校なもので。」
僕は、ミニコンの計算結果をグラフに直す作業をしばらくやってからもう一度電話をかけた。
「もしもし、帰ってきたばっかりだろう。ごめんな。」
「いいのよ。久しぶりね。いつ以来かしら。お正月の例の会には行ったの?」
「行ったよ。でもあんまり楽しくなかった。」
 僕は『君がいなかったからさ。』と言って喜ぶ相手ではないことをよく知っていたので言えなかった。
「それは残念ね。私はやっぱりああいうところは苦手。人前にはあんまり出たくないの。」
「そうか。」
「ところで、就職先はどこなの。」
「うん、D社。」
「じゃ、大阪かしら。」
「いいや、東京さ。」
「えっ。東京なの? 遠いね。」
「そう、遠いところさ。」
「頑張ってね。」
「うん。君の方はどうだい。何か悩んでるって聞いたよ。」
「私、自分が二十四歳と思うとおそろしい。本当に子供なんだもん。自分のいやなところばかり見えて。」
「いやなところばっかり見ようとしてるんだろう、わざと。いいところも探さなきゃ。そうだ、いやなところ半分にする方法教えてやろう。」
「どうするの。」
「目を片方つぶればいいさ。」
「ばか。」
「月並みだけど、元気出せよ。」
「ありがとう。あなたももう少しね。」
「ああ。」
これで、N子にとって何かの足しになったろうか。ところで僕にとってN子は一体何なのか。好き? そうだ、好きだ。で?それだけかもしれない。それで何かをするということもなく、ただたまに電話する程度。これで彼女の支えになれる筈がないし、また彼女が支えになってくれる訳でもない。でも、これ以上前に進める力も元気もお互いに無い状況である。そしてこれが日常となって時間だけ過ぎていく。そして僕は東京に旅立った。

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