幼春 第五章「友達」



年末の三十日に絵葉書が来た。

改めてテープありがとうございました。
正直言ってとても驚きました。
ありがとう。
私は自由に生きたいって思うのです。
しばられるのってとてもいやなんです。
がんじがらめになってしばられるっていやなんです。
今言えるのはそれだけです。
お正月は二日か四日なら空いています。
その気になったら電話してみます。
さよなら。

IH様
KN子

またこれか。僕は彼女の禅問答に付き合わねばならないみいたいだ。奈良のあの僕への態度とこのはがきの意味するところ。彼女の心の揺れに付いていこうとするのが間違いなのかもしれない。結局彼女は僕が彼女が好きであることに対して拒否反応しているってことだろう。それなら、なぜ僕との接触を拒むどころか、僕には誘いとしか見えない行動をとるのだろう。
僕はもやもやした気持ちのまま一九七六年の新年を迎えた。N子からは四年生になる決意表明のような妙な年賀状が来ていたが、二日も四日も電話がなかった。僕は思い悩んで四日の夜に電話した。
「明けましておめでとう。」
「おめでとう。」
「ごめんね。こっちから電話して。」
「え? 私こそごめんね。電話できなくて。」
「はがき読んだよ。どういう意味なのか、ちょっとよくわからなかった。」
「ごめん。もう忘れて。そう、あしたは時間とれない?」
「いいよ。絶対行く。」

一月五日に僕達はまた奈良公園にいた。正月の雑踏の中を散歩して、喧騒から逃れて興福寺の宝物殿に入った。月光菩薩はとてもきれいな顔だった。それから二月堂に上った。奈良盆地が一望できた。僕たちの卒業した高校を遠くにながめながらN子は言った。
「ごめんね。三日には電話しようと思ったのよ。でも、京都に行っててずいぶん帰りが遅くなってしまったので結局電話できなかったの。」
「そうだったんだ。僕はね、けっこうがっかりしてたんだよ。」
「できれば気軽に電話したいと思うのだけど、電話ってなんかこわくて苦手だわ。でもね、かかってくるのは好きなのよ。」
「電話が苦手だから、それで葉書を書くの?」
「ああ、こないだの葉書のこと? あれ全面撤回させて。ごめん。葉書や手紙って書くの好きなんだけど、後に残るからいやなときもある。」
「じゃ、結局電話も手紙もどっちもだめってことになるじゃないか。軽い気持ちでいいじゃないか。」
「そうね。難しく考えるのね、私。ところで私と会うの、疲れない?」
「電話、葉書そして会うこと。ひとつずつダメって言うんじゃないだろうな。答えたくないよ。でも会いたいから誘うんじゃないか。」
「そんな理詰めで責めないでよ。私とI君がこうやって会うのは不自然じゃないかと思って。」
「何が自然なのかわかんないから、会ってもいいって思えばそれで自然だと思う。」
「それでちょっと安心した。お願いがあるの。よかったら一月に一度くらい、こうして会えないかしら。」
僕は、N子からの提案をまず一歩として受け取った。彼女が散々いろんなことばで牽制した後で出てきたこのことばの意味を反芻しながら答えた。
「ほんとに? ぜひそうしたいな。」
新年早々、僕は好きなN子から月に一度会いたいと言われた。彼女は、僕をある意味で一生懸命友達と位置づけて、その上で何でも話せる関係になりたいと考えているのだろう。N子の言う男女の友達ってやつだ。だけど僕は、N子が好きだった。彼女がいくら牽制しても好きであることに変わりはなかった。きっと彼女もそれがよくわかっているんだと思う。でも、僕はN子と会うことができるという点だけにすがっていたかった。だから、そういう意識のずれを認めた上で僕はしばらく彼女と付き合おうと思った。そうとりあえず友達として。

友達としての親密な関係は滑り出し良好であった。十日ほどたって電話してみた。
「もしもし。」
「こんばんは。どうしてる? 毎日寒いね。」
「結構忙しいな。試験も近いし。」
「私もね、研究発表が近いの。でも、準備がなかなかできなくて。もうそろそろ力を入れなきゃって思ってるの。棟方志功なのよ、テーマは。」
「へえ。僕もあの人の版画好きだよ。彼の板極道読んだ? 文庫で出てるよ。」
「知らなかった。さっそく買ってみるわ。研究してるのにそんんことも知らないなんて恥ずかしい。」
突然彼女がケラケラ笑いだした。
「おい、どうしたんだ。」
「あのね、そばにおねえちゃんがいて私をからかうのよ。話してみる?」
「え、いいよ、やだよ。」
「二人称って難しいね。I君のことなんて言えばいいのかしら。あなたかな。」
「じゃ、僕はNちゃんて呼ぼうかな。」
「よしてよ。私二十一よ。子供みたいよ、Nちゃんなんて。」
「そうかな。」
「このごろ、寒いね。私、夏より冬が好きだって思ってたけど、やっぱり寒いのはいやだわ。朝なんてとても起きられないもの。」
「一体何時に起きてるの。僕は八時ころだけど。」
「八時?すごい。私なんてせいぜい九時よ。あ、笑ったな。」
「笑ってないよ。」
「それで何時に寝てるの?」
「一時くらい。」
「へえ。私絶対笑われるわ。十時間くらい寝てるもの。」
「ははは。」
「やっぱり笑った。ばかにしたな。」
「したした。」
「試験頑張ってね。」
「君こそ、発表頑張れよ。」
「ありがとう。おねえちゃんと話してみる?」
「まだそばにいるの?いいよ。さよなら。」
「さよなら。」
電話を切って僕は思った。これが友達なのかな。かみつくようなことを書いたり言ってみたりしたかと思うとこんな他愛ないことも言う。僕はますますわからなくなってきた。僕は彼女の何なんだろう。

一月に一度会う約束の一回めがきた。二月の初め、彼女から電話があった。試験を控えレポートも一杯溜まっていたが、僕は応じた。僕たちは大阪にでかけた。彼女がステレオを買ってもらったって言うので、レコード探しにいったのだ。日本橋のレコード屋でクラシックのレコードを適当に見繕って、それから初めて彼女を我家に連れてきた。家には誰もいなかった。僕の部屋で彼女にコーヒーを入れてあげた。しかし、話ははずまなかった。
「家に友達を呼んだことないから、逆に人の家へ行くのもちょっと荷が重いわ。」
「何でも重く考え過ぎるんだよ、君は。軽くいこうよ、軽くね。」
「でも、そういうI君も軽くないよ。」
「え?」
気詰まりな空気だった。僕は高校時代のマンドリンクラブのテープをかけたり、写真を出したりしてみた。
「こういうのって、あんまり見ちゃいけないわ。よけい重くなっちゃう。」
最悪だった。どうして、こんなに気持ちが擦れ違うのだろう。心なしかN子は不美人に見えた。それから近くの国鉄の駅まで彼女を送った。
「またな。」
「さよなら。」
今度の約束もできなかった。そういう気分ではなかった。
家に帰って考えた。
僕は彼女をN子を好きな筈だ。でも全然理解していない。ある程度踏み込もうとするとするりと逃げられてしまうみたいだ。僕は無理をしている自分を見ている。好きだという感情と友達というたてまえの前でとても疲れている。でも、この関係を敢えてこわす勇気は無い。結局ずるずると流されていくのか。

あはれ おみなご 窓辺に立ちて
空のかなたを 見つめけり

なにゆえ、N子は僕と一月に一度会いたいと言ったのだろう。同じことを僕は何度も考えた。N子に聞いてみるなんてことは思いもよらなかった。僕は一体彼女にとって何なのだろう。安らぎの対象なのか。その対象に僕を選ぶ必然性はどこに存在したのか。偶然疲れた彼女の目の前に僕が立っていただけなのか。
福永武彦の『愛の試み』を読んだ。僕は彼が言う孤独が多分とても脆弱なんだろう。福永の言に従えば、僕は彼女の孤独を認識して、僕自身の孤独と向き合ってそして彼女を愛さねばならない。僕はもっと自分を強くし、自分の孤独と対峙しそれを十分に認識した上で彼女を愛さねばならない。でも、本当は僕は自分の孤独を癒すために彼女をN子を愛したいのではないだろうかと思った。N子は僕のそういう小ささを見抜いているのかもしれない。僕が近づけば近づくほど余計僕の小ささを認識するのだろうか。僕が支えになってくれることを期待しているのに、自分が逆に支えに回ることを彼女は恐れているのだろうか。おびえに似た感情を僕は持った。しかし、しがみついてでも僕はこの関係を保ちたいと思った。

また一月たって三月になった。僕は試験も終わって四回生になるまでの春休みを控えてほっとしていた。N子と奈良で映画を見る約束をした。彼女がチケットを入手したのでと僕を誘ったのだ。僕は、その映画を既に見ていた。大音響の装置があって初めて効果の出る映画だったが、奈良のその映画館にはそんな装置もなく、つまらなく見た。ほかの映画の予告編で成人ものに類するものが出てきて妙に恥ずかしい思いをした。それだけだった。会話も弾まずますます気まずくなった。ちぐはぐであった。一時に会って映画を見て四時半には国鉄奈良駅にいた。彼女は北へ、僕は南へ向かう列車だった。階段のところで別れるときに僕が彼女に近寄ろうとすると彼女はとびのいた。僕は面くらってしまった。僕が何をすると思ったのか。僕は先行きの不安さを感じた。

ああ、こんなにたまらない程の裡(うち)を
大きな大きな風船にでも詰め込んで
真っ赤な空へ飛ばせたら
燃えてはじけとぶだろうか

からっぽになった筈の裡が
どうしてこんなに重いのか
真っ赤な空だと思ったのは
僕のこころだったのか

僕の裡が僕の心の中ではじけて
ますます裡が内に入り込む
叫んでもためいきしても
僕の内は僕の心の内にある

僕の裡、僕の裡
この白い息に溶け込んで
コロイドの空に広がれば
コロイドの空も僕の裡

空間は歪み僕の心に入り込む

そして一月に一度会う約束は三回めを待たずに破れてしまった。三月のある日、大学の友人のKが遊びに来た。ふたりでギターを弾いてサイモンとガーファンクルの曲を何曲も歌った。昼間から酒を飲んで相当酔っていた。Kが言った。
「おい、おまえの彼女、Nちゃんだっけ。電話してみろよ。」
「彼女じゃないさ。友達さ。」
「いいからさ、電話しろよ。俺ちょっと声を聞いてみたいんだよ。」
僕は酔いも手伝って、それに『彼女』っていう響きに気持ちよくなって彼女に電話した。Kはすぐに受話器を僕から奪った。
「こんにちは。初めまして。Kと申します。Iの友人です。今日はぜひあなたとお話しがしたかった。いつもIは言うんですよ。NちゃんNちゃんてね。彼は本当にあなたのことが好きなんですよ。わかってやって下さい。」
僕は驚いた。すぐに受話器を取り上げた。
「ご、ごめん。バカなことを言うんだ。こいつは。」
「・・・。」
「とにかく今日はこれで。」
電話を切った。僕は言いたくてもこの危なっかしい関係がこわれてしまうことに脅えて言えなかったことを、第三者の口から突然伝えられてしまった。Kは僕に謝って帰った。でも僕はKを責めることはできなかった。事実僕は彼女が好きだったからだ。
僕は、僕自身もそしてある意味でN子も、恋愛とは独立のところに二人は存在しているんだとお互いに言い、納得しようとしていたのだ。わかっていても触れてはいけないことだった。
僕は次の日改めて彼女に電話をかけた。とにかく話をしようということになった。三日後、僕は奈良で彼女と会った。顔がお互いこわばっているのがよくわかった。そして、ほとんど話すことなくいつもの白門館に入った。
N子が口を開いた。
「こないだ、彼が言ったことはずっと私も感じてたし、考えてもいたの。私こんなでしょ。わがままで、気分屋で、とてもいやな性格でしょ。なのに、どうしてあなたは私を受け入れてくれるのか。とてもとても心苦しいの。耐えられないのよ。」
「そんなことないさ。」
「そうなのよ。あなたは私の何でも受け入れようとしてるの。しかも好きでやってるってこと。それは私困るのよ。それって私を本当に見てくれているのかしらって思うのよ。何でも受け入れられるのってとてもつらいのよ。私が何を言っても『はいはい』って言われて、にこにこされて、そういうのって私やっぱりたまらなくなっちゃうの。」
「悪かった。」
「それなのよ。なんで謝るの。そこでどうして勝手なこと言うなとか、おこらないの。どうしてそうなの。私を本当にわかろうとしてくれているの。」
僕は、ほとんど言い返すこともできなく別れた。
友達関係では、ましてや恋愛関係では、全く一方的な受け入れってのは本当の姿ではないのだと言いたかったのだろう。お互いにわかり合い、そして刺激し合って高めていかねばならないのに、僕はただ黙って彼女を見るだけ。でも、どうすればいいんだ。あの子の不可解さが好きで、変わりやすい気持ちの揺れに見とれているのが僕なんだ。それをエゴだと言うのか。僕はそれが彼女のある意味でのSOSであることに気がついていなかった。

「無限遠点への放射(あこがれいっぱい)」
 
いつもいつも 
遠いところを見ている
いつも前を向いている
いつも両手いっぱいひろげてる
だから だけど あこがれいっぱい

春のように暖かく 
夏のようにはげしく
秋のように清らかで
冬のようにきびしい
そうだから そうだけど あこがれいっぱい

まぼろしなんかじゃない
イメージなんかじゃないはずだ
ほんとうのことなんて
そう誰もわかりゃしないさ
そうだから そうだけど あこがれいっぱい
そうだから そうだけど あこがれいっぱい

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